〔東京裁判開廷80周年記念シンポジウム〕が開催された

〔東京裁判開廷80周年記念シンポジウム〕が開催された

 

 7/28,中国駐大阪総領事館で〔東京裁判開廷80周年記念シンポジウム〕が開催されました。冒頭、薛剣総領事が主催者代表のあいさつをされました。

あいさつをする薛剣総領事

 あいさつで、薛剣総領事はいわゆる「(日本の)新型軍国主義」に対し、「日本は(東京裁判で確定した)敗戦国としての責任と人類社会の良識に反する」と厳しく批判されました。そして、「東京裁判は、平和の力で暴力を制し、正義の力で悪に打ち勝ち、文明の力で蛮行を洗い清め、法理の力で強権を成敗した歴史的な裁判であります。」と指摘され日本軍国主義と侵略戦争を(全面否定)清算した東京裁判の法理と根本精神をしっかりと捉えなおし、右翼勢力による歴史改ざんを許さず、共に力を合わせて日中友好と平和発展に尽力することを、日本の各界各層の人々に呼びかけられました。そして、シンポジウム参加者と全ての友好人士の皆様へ感謝の言葉を述べられました。

 講演では、最初に石田隆至氏(上海交通大学人文学院副研究員)が「東京裁判が規定した戦後国際社会ーグローバルサウスの観点からー」をテーマに話されました。

石田隆至氏

 石田隆至さんは、東京裁判の成果と限界を分けて解説されました。東京裁判以前は、戦争を裁き防ぐための罪が国際法上無かったが、東京裁判では戦争指導者個人を裁くことで初めて戦争を罪として裁くことができた。しかし、(根拠となる国際法が無いが故、また欧米戦勝国には植民地支配復活の目論見があったが故)植民地支配そのものを裁くまでに至ることはできなかった。

 この問題に「新中国戦犯裁判」で果敢に取り組むことになるのが東京裁判中国代表判事の梅汝璈氏です。「新中国戦犯裁判」の内容は次の花烏賊康繁さんのお話をお聞きくださいとして話を締めくくられました。

 花烏賊康繁氏(作家)は、「台湾有事・存立危機事態」の高市首相発言に大変な危機感をもって著書「元憲兵・土屋芳雄 つぐないにひたすら歩み」を著されました。

 「戦後に生まれ戦場で育った」のタイトルで講演をされました。

花烏賊康繁氏

 花烏賊康繁さんは戦後間もない1948年に、米軍の演習場があった山形県村山市戸沢地区に生まれられました。村の頭上を米軍の砲弾が飛び交い、着弾前に空中爆発するなど極めて危険な生活環境にあったそうです。演習が始まると農作業も学校の授業もできないありさまだったそうです。小学生のころ、友人が米軍の自動車にひき殺される事故があったそうです。村の駐在巡査は米軍に手出しすることができず、友人の遺体は雨の中に放置されたままだったそうです。花烏賊さんは戦争の残酷さを実感したそうです。まさに「戦後に生まれ戦場で育った」ということです。

 やがて村の若者を中心に農民大学が組織され、村人は米軍基地撤去闘争に立ち上がりました。花烏賊さんもやがてこの闘いに参加していったそうです。結果、米軍基地撤去を勝ち取り、農民大学の運動は山形県全体に拡大し山形県農民大学が組織されたそうです。花烏賊さんは山形県農民大学で、元憲兵・土屋芳雄さんと出会いました。

 元憲兵であった土屋芳雄さんは、撫順戦犯管理所に収容され、新中国戦犯裁判を経て、自らが(多くの中国人を虐殺した)軍国主義の鬼であったことを認め、悔い改め、懺悔し、真人間に生まれ変わり、極刑に処されることなく生きて日本に帰国されたのです。帰国後、土屋芳雄さんは平和運動、日中友好運動に取り組まれます。まさに「つぐないにひたすら歩み」を続け、贖罪の後半生を貫かれたのだと思います。石田隆至氏が新中国戦犯裁判の内容は花烏賊さんの講演でお聞きくださいと指摘された箇所だと思います。(東京裁判のように)戦犯個人を裁いて終わるのではなく、(新中国戦犯裁判では)罪を認め懺悔し、悔い改めた者は極刑に処することなく許し、許された者は帰国後の平和実践により、戦犯を生むに至った植民地支配そのものの是否が厳しく問われこととなったのです。

 実は、花烏賊さんのお父さんも元憲兵だったそうです。しかし、花烏賊さんのお父さんは土屋芳雄さんのように新中国戦犯裁判を経て軍国主義を悔い改める機会もなく帰国されました。むしろ憲兵であったことを自慢するようなお父さんだったそうです。花烏賊さんの家庭ではお父さんの酒乱とDVで、花烏賊さんとお父さんの確執は抜き差しならないものがあったそうです。しかし、土屋芳雄さんとのお付き合いの中で、花烏賊さんのお父さんも徐々に変わっていかれたそうです。花烏賊さんのお父さんの晩年の手記には、(軍国主義の鬼であったことの)認罪と謝罪、贖罪の言葉が綴られていたそうです。

 一連の講演を締め括り、最後に、木村知義氏(北東アジア動態研究会 主宰)が話をされました。

木村知義氏

 木村知義さんは、「尽くされなかった戦争責任の糾明と戦後日本」のテーマで講演されました。極東軍事裁判(東京裁判)で断ち切れなかった戦争の歴史とわれわれが向き合うべき課題は何かということを、様々なエピソード・角度から照らし出すような形で話を進められました。
 印象的だったのは、東条英機を含め7人のA級戦犯(東京裁判判決)は1948年12月23日に巣鴨プリズンで絞首刑に処されましたが、同じくA級戦犯の岸信介は翌日1948年12月24日に釈放された話をされました。死の恐怖から一転解放され生きながらえた喜びは、後年首相として日米安保改訂をなし、日本をアメリカ側に立った反共の防波堤とすることで結実したのでしょう。

 また、中国黒竜江省ハルビン市にある侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館(731部隊記念館)を訪れた時の話をされました。展示の最後に、731部隊出身者が帰国後に日本の医学、医療、医薬、大学、製薬会社の要職に就いたことを示す、氏名とその就職先が列記された一覧表を見て驚いたことを、その一覧表の写真を示しながら話されました。更に、木村さんが高校生の時に、医学部の大学生の家庭教師についてもらって勉強したそうです。その医学部の学生から「死体をいくら解剖しても何もならない。生きた人間を解剖しないとだめだ。という教授がいる。」との話を聞いて驚いた経験を話されました。何れも【731部隊石井四郎部隊長ら幹部は、米軍調査団に対して非人道的な人体実験や細菌戦に関する膨大な研究資料・データを提供し、東京裁判などの国際法廷で彼らを戦争犯罪に問わないことを約束しました。そのため、国内・国外で大々的な罪に問われることはありませんでした】との史実を裏付ける話だと思います。

 これらのエピソードから垣間見えるものとは。結局、日本は未だに「軍国主義という病がひそむ国」であり、「未だ何も終わっていない!」ということです。

 今、先端科学技術を含み経済成長し安定感のある平和発展を遂げる中国に世界が信頼を寄せる時代です。日本だけが高市政権のもと、東京裁判の不十分性が顕在化し、中国と敵対する誤った道に進みつつあります。今や中国抜きに語れない時代です。中国に学んで知ることが不可欠です。中国革命を知ることが不可欠です。と述べられ、私たち日本人が向き合うべき課題を明らかにされた思います。日中友好と平和を希求するものとして、高市政権の中国敵対政策にストップをかけるべきだと痛感しました。

質疑、ディスカッションに応じるパネラーの皆さん

 最後に、会場から積極的な発言や質問があり、時間オバーの活発なディスカッションとなりました。

(報告:伊関)