『どうしたら戦争をなくせるの?』集会に向けた意見

NHKスペシャル

「シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~」を視聴して思ったこと 

伊関 要

 80年目の「8月15日」にあたり“日中友好ネット”でご紹介させて頂いた浜田紀男様の論考を拝読して、【NHKスペシャル「シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~」】を視聴しました。以下、浜田様に感謝しつつ感想を述べたいと思います。

 太平洋戦争(日米戦争)開戦(1941年12月8日)の年、4月、政府は多くの若きトップエリートたちを緊急招集し「総力戦研究所」を開設した。彼らは、日米戦争の推移と日本の敗北を正確に予測した。「この戦争は止めなくてはならない」と彼らは、勇気を振り絞って、国の指導者たちに「日本必敗」の現実を伝え「戦争をしてはならない」と訴えた。しかし、聴き入れられることは無く、予測通りの戦禍に310万人の国民が斃れ国土は廃墟と化した。

 残酷無残な結果が分かっていながら、時の国家指導者たちは戦争の道を選んだのか?!その責任は極めて重要だ。「『なぜこの国は日米開戦に踏み切ったか』についてフォーカスしたものはほとんどありません。・・・・・ここまで手出しできなかった理由は、正直に言ってしまえばほとんどタブーに近かったからだと思います。」(脚本・演出の石井裕也氏のコメント抜粋)。これは、戦後、「一億総懺悔」のスローガンのもと、国家指導者たちの国を破滅に導いた責任が曖昧にされたまま、この国の支配体制の核心は戦前と何ら変わらずいまだに続いている証左ではなかろうか。「国家指導者の戦争責任を明らかにしない」というタブーを破るという意味では画期的なドラマ作品だったと思う。

 しかし、日本の加害(侵略戦争)責任について一言も触れられてなかったのは、残念の極みと言わざるを得ない。太平洋戦争は、日本による中国侵略戦争の帰結に他ならないからだ。中国からの撤兵、即ち侵略戦争の中止を拒否して、対米戦争に踏み切った経緯があるからだ。国家指導者が最も隠蔽したい責任は、当に侵略戦争の責任(加害責任)に他ならない。この侵略戦争を起こした責任は国家指導者にある。そして、国民の側にも侵略戦争を押し止められなかった責任がある。再び侵略戦争を許さない責任が私たち国民の側に引き続き今もあるということだ。

 戦前、日本では「暴支膺懲」を国民的スローガンとして中国侵略戦争が行われた。今、「覇権主義的傾向を強める中国、海洋進出を強める中国、専制・独裁、人権弾圧、民主化弾圧・・・etc」といった中国ネガティブキャンペーンが展開されている。これらは、現代版「暴支膺懲」論であることを看破しなければならない。中国を最大の脅威とみなすアメリカによる新たな中国干渉戦争の準備であることを看過してはならない。アメリカは戦前から温存された侵略戦争の責任を取らない日本の支配層(支配構造)を利用し再び日本を中国との戦争の最前線に立たせようとしている。

 「当時の日本社会に漂っていた不気味な『空気』は、確実に引き継がれて今の社会に存在するからです。」(石井裕也氏のコメント抜粋)とは、中国ネガティブキャンペーン(現代版「暴支膺懲」論)が蔓延する現在の日本の空気感に他ならない。既に、「日中友好」を訴えること自体が何か勇気のいることのようになってしまっている。このまま対中国戦争翼賛体制に組み込まれてはならない。再び侵略戦争を許さない責任を果たす時だ。浜田様の論考に「何としても戦争を回避する意志を持った政治が私たちには必要なのである。そうした国民の生命が第一に守れるなら、あとは少々生産性が悪くとも誠実にものを作り、田を耕し、身体が動く限り働いて生きるだけである。ただし、穴に落ちないよう足下に注意して。」 とある。今、日本の反戦運動の最前列に「日中友好」運動があることを自覚し、一人でも多くの方々と共に平和を守る行動を取りたいと切に願うものです。

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                         2025年8月3日
中華人民共和国駐名古屋総領事館主催
中日平和友好交流会
学界代表講演

「被害と加害の歴史を心に刻み、
戦後80年“不戦平和”を維持する努力を」

       日中関係学会副会長兼東海日中関係学会会長
          川村範行・名古屋外国語大学名誉教授

 

 私は、7月7日に中国武漢大学主催の戦後80周年に関する国際シンポジウムに招かれて講演しました。そもそも、7月7日は何の日ですか-日本では織り姫と彦星が年に一度出会う優雅な「七夕」の日を思い浮かべますが、1937年のこの日に中国北京郊外の盧溝橋で事件が起き、日中戦争が本格的に拡大する重要な転換点となった日であり、中国人にとっては忘れられない歴史に刻むべき日なのです。
 戦後80年と言えば何を思い浮かべますか-武漢大学のシンポジウムのテーマに明記されていましたが、中国では「抗日戦争勝利80年・反ファシズム戦争勝利80年」であり、即ち、日本と戦い抜いた“被侵略国”の意識です。日本人にとってはどうか-「終戦から80年」であり、「広島、長崎への原爆投下」や「名古屋空襲、東京空襲」という、“被害意識”がほとんどであり、中国大陸など“外地”で侵略を行ったという“加害意識”はほとんど無いのです。日本と中国では“戦争に対する意識”が全く違うのです。 
 それは1931年から1945年までの15年間もの長きにわたる日中戦争で中国人死傷者3000万人以上を出した悲惨な戦場が遠く離れた中国大陸ほかアジア・太平洋であり、日本での戦争報道も管理されていて、不都合な真実を全く知らされなかったためです。
 ドイツのワイツゼッカー大統領が戦後40年の1985年に国会で「荒れ野の40年」と題して演説し、「過去に目を閉じる者は現在に盲目となる」と述べて、「歴史を心に刻む」ことを訴えました。常に戦争の歴史を「心に刻む」ことが、戦争を起こさないことにつながるのです。
 日本人は本土で受けた被害の歴史だけでなく、外地で行った加害の歴史も事実を知り、「心に刻む」ことが重要であります。私は大学教授として、学部生や大学院生に、毎年、日清戦争、日露戦争から日中戦争に繋がる歴史的経緯と日中戦争の実態を客観的に講義し、日本人として被害意識と加害意識の両方を自覚し、二度と悲惨な戦争を起こさないよう一人一人が心に刻むことが大切だと教えてきました。
 振り返れば、日本は日清戦争から10年後に日露戦争を起こし、それから20数年後に日中戦争を拡大しました。しかし、日中戦争・アジア太平洋戦争で無条件降伏をしてから80年間、日本は中国とも他の国とも一度も戦争をしませんでした。80年の長きにわたり不戦平和を維持したことが極めて貴重です。
 なぜ、日本が戦後80年間、「不戦平和」を維持できたのか。
 第一に、戦争放棄と戦力不保持、交戦権否認を定めた日本国憲法の力です。朝鮮戦争やベトナム戦争に日本が直接派兵をしなかったのは、平和憲法の“歯止め”があったからです。
 第二に、1972年の日中国交正常化共同声明で、「すべての紛争を、武力ではなく、平和的手段で解決する」とする、“不戦の誓い”を明記しました。1978年に国会承認した日中平和友好条約で「両国間の恒久的な平和友好関係」を法的に制度化したことが重要です。国交正常化共同声明と平和友好条約が日中間の不戦を支えてきたと言えます。
 第三に、日中両国が経済貿易を通して相互協力を深めたことが、戦争への“抑止力”になったと見る事が出来ます。
 
 しかし、最近、日中両国間で安全保障を巡るリスクが懸念されている。
 ウクライナ戦争やガザ戦争に加えて東アジアの安全保障を巡る環境も変化しています。中国は国家安全をますます重視し、日本は安全保障政策を転換しました。日中両国間で交流や意思疎通を密にし、偶発的衝突や武力紛争などは絶対に防がねばなりません。その為には次の2点が必要と考えます。
 第一に、論語には次のような言葉があります。「本立而道生」。根本がしっかりと定まれば、自ずと進むべき道が生じるという意味です。日中両国が日中国交正常化、及び日中平和友好条約の原点を確認して、将来も「日中不戦平和」を維持する必要があります。
 私が会長を務める東海日中関係学会は2022年の日中国交正常化50周年記念国際シンポジウムで「武力ではなく、対話と外交力で平和構築を」と主張しました。また、中国駐名古屋総領事館の支援のもと、2023年、2024年と2年連続で学術訪中団を派遣し、中国外交部や中国社会科学院日本研究所ほか上海のシンクタンクや復旦大学などとも積極的な対面交流を通じて、日中関係の協調的発展について相互理解を深めました。
 第二に、将来は、武力に頼らず紛争予防を主目的とする欧州安全保障協力機構(OSCE)を参考に東アジア安全保障協力(OSCE “東アジア版”)を、先ず日中両国が中心となり、研究者・シンクタンクが研究を進め、政治家を巻き込んで、各国政府と連携をして東アジア全体で不戦平和の枠組みを構築することを提起します。
 
 今から約2500年前、中国の春秋戦国時代に思想家の墨子は「兼愛非攻」を提唱しました。墨子は相手への攻撃を戒め、仮に攻撃されたら防御する専門集団を訓練していました。現代に照らせば専守防衛(非攻)の立場で、全方位外交、国際協調主義の考え方です。墨子の思想は七カ国が武力で相争っていた当時、非現実的だと批判されましたが、21世紀の今こそ見直されるべき思想ではないでしょうか。「日中不戦平和」「東アジア安全保障協力」は、時空を超えて墨子の思想を受け継ぎ、現代に開花させる営みとも言えます。

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浜田紀男さんの論考【NHKスペッシャル「シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~」】をご紹介します。 伊関要拝

伊関様 拙稿ご活用いただければ幸いです。
 ささやかな目標ですが、「総力戦研究所」を岩波書店の「広辞苑」に新加(新しい項目)していただくことにしています。回答も8版で検討するべきであるとの感触を得ています。
 もしも現在に「総力戦研究所」が存在し、中国に対して戦争をした場合の勝敗を研究すれば「必敗」でしょう。「総力戦研究所」からの教訓は、その勝敗でなく「平和」です。    
浜田紀男

NHKスペッシャル

「シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~」

 朝ドラ「虎に翼」 NHK連続テレビ小説「虎に翼」は、第110回目の作品として、2024年4月1日~9月27日の130回が放送された。その中でも屈指の作品であった。『朝ドラ「虎に翼」の「総力戦研究所」』を同年の8月にA4版7ページ、『朝ドラ「虎に翼」の原爆裁判』』を10月にA4版8ページにまとめて、所属する治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟堺支部の会報誌「不屈」に掲載した。

 12月7日(土)ソフィア堺にて、市政を刷新し清潔な堺市政を取り戻す市民1000人委員会中区連絡会主催の、第28回市民学習会で『朝ドラ「虎に翼」から見たアジア・太平洋戦争』を講演した。私の故郷の松山市の愛媛県教育会館で、本年の4月27日(土)近代史文庫特別例会にて、前記標題で講演することが出来た。近代史文庫主催で松山市の銘物である『「労研饅頭」から見えてくるもの』の講演から16年が経過している。
 8月9日(土)に、JR阪和線鳳駅前の鳳本通商店街の真ん中にある、「やさしい風」で、「社会福祉法人野のちから」のご尽力で、同じテーマで講演会が予定されている。

 「総力戦研究所」と窪田角一氏
 元・四万十市長の田中全さんより、思いがけないニュースがあった。田中さんは「虎に翼」の「総力戦研究所」の模擬内閣の総理大臣役を担当した、窪田角一氏(くぼたかくいち1905-1985)が勤務していた、農林中央金庫の後輩でもあった。窪田氏について何かご存知なのかをお訪ねしたのが、本件のニュースにつながった。田中さんは私が愛媛県出身で、松山市での講演も連絡済みだった。新たな窪田氏の詳細を伝えていただいた。
 窪田氏は愛媛県今治市拝志の出身で、愛媛県越智郡富田村尋常小学校卒業し、県立今治中学校(4年修了)、第六高等学校文科乙卒業、東京帝国大学法学部卒業後に、1927年(昭和2)に産業組合中央金庫に就職し、総力戦研究所第一期研究生に出向している。窪田氏は愛媛県人会関東の幹事や愛媛県東予育英会長を歴任し、1985年9月30日に心不全のため、東邦大学大橋病院にて80歳で逝去された。

NHKスペシャルの「総力戦研究所」
「総力戦研究所」は朝ドラ「虎に翼」により知られることになった。しかしその内容は深く掘り下げてはいない。新たにNHKでは「戦後80年関連番組」として「総力戦研究所」を舞台に、総理大臣役を担当した窪田角一氏を主人公とした作品を放送することをホームページで公表した。このことを田中さんにより知ることが出来た。

 NHKスペシャル「シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~」
 【放送予定】2025年8月16日(土)
 前編・総合21時―21時59分
 17日(日)
 後編・総合21時―21時59分
 【原案】猪瀬直樹「昭和16年夏の敗戦」(中央公論新社刊)
 【出演】池松壮亮ほか  【脚本・演出】石井裕也

 【あらすじ】
 1941年(昭和16)4月、平均年齢33歳の多くの若きトップエリートたちが緊急招集された。軍人・官僚・民間企業から選抜された彼らは、将来の日本のリーダーとなるべき人材を養成する目的で、新設された総理大臣の直轄機関「総力戦研究所」に参加することになったのだ。
 その目的は軍事・外交・経済などの各種データを基に、日米が開戦をした場合の戦局を正確に予測し、そのシミュレーション結果を近衛文麿首相、東条英機陸相を初めとする<本物の内閣>の面々を前に報告することだった。
 当初、国や軍部の真意が分からず宇治田洋一(池松壮亮扮する窪田角一がモデル)らエリートたち。もしシミュレーションの結果が上層部の意に沿わないものだった場合、自分たちの身にも害が及ぶのではないか・・・。宇治田や仲間たちはそれぞれが家族を抱える中、緊張にさらされ続ける。それでも、通常は国家機密である日本の国力を測るための様々なデータにアクセスを許されるなど、宇治田たちはある種の興奮の中で、日米戦開戦後の戦局を占っていく。喧々諤々の議論の末に<模擬内閣>若き閣僚たちが導き出した最終結論は、「もしアメリカと戦えば、日本は必ず負ける」というあまりにも厳しい未来予測だった。エリートたちの理性は告げる。「この戦争は止めなければならない」と・・・。
 シミュレーション結果を<本物の内閣>に報告する日が来た。<模擬内閣>の若者たちは、勇気を振り絞ってシミュレーションが導き出した「現実」を国の指導者たちに伝えようとする。果たして、東条英機らの反応は・・・。そしてその後、宇治田たちが目のあたりにする”残酷な結論”とは・・・。

 【脚本・演出の石井裕也のコメント】
 これまで作られてきた日本の戦争ドラマ・映画は、終戦間際に一般市民が不幸な目に遇う、いわゆる戦争被害者の視点に立つものが多かったと思います。私が知る限りその大元となった「なぜこの国は日米開戦に踏み切ったか」についてフォーカスしたものはほとんどありません。あまりにも事態が複雑でドラマ化が困難だったのが一因でしょうが、ここまで手出しできなかった理由は、正直に言ってしまえばほとんどタブーに近かったからだと思います。
 開戦前夜の人間たちの葛藤は、いまの私たちにとって決して無関係ではありません。当時の日本社会に漂っていた不気味な「空気」は、確実に引き継がれて今の社会に存在するからです。日本を代表するキャスト、スタッフと共に今この作品が作られたことの大きな意義を感じています。

  【石井裕也のプロフィール】  
 1983年生まれ。埼玉県出身。大阪芸術大学芸術学部映像学科卒業、日本大学大学院芸術学研究科映像芸術専攻修士課程修了。
 自主映画から注目されてきた新世代のトップクリエイターであり日本アカデミー賞史上最年少受賞などを経て今や日本を代表する映画監督の一人。
 国内はもとより、アジア圏を中心に世界的な評価も高い稀有な存在。 作風はメジャー大作からインデペンデントまで多岐に亘るが、デビューから一貫して、「日本」を主題として社会性に富んだ作品を送り出している。
 主な代表作に、辞書作りを描いた「舟を編む」(原作・三浦しおん、主演・松田龍平・2013年公開)、シングルマザーで懸命に生きる母子の姿を描いた「茜色に焼かれる」(脚本・石井裕也、主演・尾野真千子、2021年公開)等がある。

平和への希い
 2025年日本はアジア・太平洋戦争の敗戦と、広島長崎への原爆投下から80年、稀代の悪法の治安維持法と男子「普通選挙法」の成立から100年となる。改めて「戦争と平和」を考えるときでもある。しかし日本政府は軍拡路線を拡大している。7月3日の朝日新聞に作家の高村薫氏が『「命」第一の政治あれば-誠実に生きるだけ』を、見出しを「穴は至る所に」として寄稿している。その要旨は次の通りである。少し長いが最近の論考で一番印象に残っている。
「最新の日本の相対的貧困率は、アメリカや韓国にも抜かれて15.4%であり、先進国でもっとも貧しい。政府の債務残高が1323兆円を超え、国家の信用が揺らぎつつある日本に、戦争するカネはない。さらに、平原のない狭い国土は一発のミサイル攻撃にも耐えられない。これが私たちの現実である。しかしながら、雨が降ろうが槍が降ろうがこの現実だけは変わらないことを肝に銘じておけば、(いま)しか見ない私たちでもたぶん、何とかなる。いや、参院選も近いので、せっかくだからもう少し欲を出し、当面の暮らしだけではないこの国のかたちや、世界のあるべき姿にも目を配る、真に政治らしい政治を持ちたいと思う。 仮にトランプ関税に屈することになっても、狂気と強欲に満ちた大国の論理にくみせず、何としても戦争を回避する意志を持った政治が私たちには必要なのである。そうした国民の生命が第一に守れるなら、あとは少々生産性が悪くとも誠実にものを作り、田を耕し、身体が動く限り働いて生きるだけである。ただし、穴に落ちないよう足下に注意して。」
「総力戦研究所」から真の汲み取るべき教訓を生かしたい。
                 2025年7月
         浜田紀男(大阪シナリオ学校事務局長)

 追記
 8月7日に田中全さんより連絡があり、本日付けの高知新聞に「昭和16年夏の”窪田内閣”」のタイトルの、田中さんの投書が掲載されたとのこと。なお田中さんのブログ「幡多と中村」で、その全文を見ることができる。
 田中さんとは性科学者・社会運動家の山宣こと山本宣治(1889-1929)の、高知県での足跡を訪ねる旅で交流することが出来た。田中さんが四万十市長の在任中からもう15年になる。あのとき田中さんの案内で、四万十川で獲れた天然ウナギを、居酒屋「常連」で食した味が忘れられない。

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「『どうしたら戦争なくせるの?』集会に参加して」

(中桐康介さんの感想文)を拝読して思ったこと

伊関 要

 中桐さんとは、ほぼ20年来のお付き合いになります。野宿者の闘争、日朝友好米作り、朝鮮学校の民族教育支援と長きに渡り活動を共にしてきました。この信頼関係があればこそ、中桐さんから率直な感想をお寄せいただいたとものと思います。同様に私も率直に思うところを述べたいと思います。建設的な議論で一層の協力、団結を願ってやみません。現下の「中国ネガティブキャンペーン」一色のメディア状況からすれば、中桐さんの感想は一般論、通説かと思います。しかし、敢えてペンを執ったのは、差し迫る戦争への危機感からです。そして、戦争を押し止める強力な手立ては、日中友好だということを訴えたいからです。

 「習近平独裁政権の圧政・人権弾圧」「覇権主義的傾向を強める中国」「海洋進出を強める中国」・・・。何故、メディアは連日、執拗に中国を誹謗中傷するのでしょうか?!それは偏に、東アジア(台湾、南中国海、朝鮮半島、その他想定外の戦場)における戦争準備の為にです。大発展する中国を最大の脅威とみなすアメリカの東アジアにおける対中国干渉戦争。それは、自らの利益の最大化の為、軍産複合体とウォール街(巨大金融資本)が主導する「戦争国家アメリカ(WARmerica)」が、ウクライナ戦争、中東戦争に続いて策動する東アジア戦争です。ウクライナ戦争では、ウクライナを駒として対ロシア戦争を引き起こし、中東ではイスラエルを通じて対イラン戦争が今なお画策され続けており、東アジアでは、日本を駒として対中国戦争が策動されています。現在、九州から南西諸島・琉球弧にかけて中国に向けたミサイル配備が進んでいます。
 88年前、日本軍国主義(帝国主義)は「暴支膺懲(横暴なシナ『中国の蔑称』を懲らしめる)」を国民的スローガンとして、「東洋平和」を唱えながら「南京虐殺」を行いました。スローガンを軽信した国民は提灯行列に繰り出し「南京虐殺」を銃後から応援したのです。この痛恨の歴史を忘れてはならず、繰り返してはなりません。
 かつての「暴支膺懲」は日本軍国主義(帝国主義)が唱え、「東洋平和の為の正義の戦争・聖戦」だとして国民を中国侵略戦争に駆り立てました。今は、「戦争国家アメリカ(WARmerica)」(帝国主義)が中国ネガティブキャンペーン(現代版暴支膺懲論)を展開し、「中国(朝鮮)への不安や不信」を煽り、「中国が攻めてきたらどうする!ミサイルが必要だ!」として日本列島のミサイル要塞化をすすめ再び中国との戦争を準備しているのです。

 このまま戦争へと進ませない為に、日中友好が極めて重要であることを訴えたいと思います。中国が信頼に足る平和勢力であり、強力な戦争抑止力であることを、中桐さんの感想文に応答する形で述べたいと思います。

 まず、習近平国家主席は傑出した尊敬すべき素晴らしい指導者だということです。中国は、習近平政権(中国共産党の指導[真剣な尽力])のもと、中国国内の貧困(国連基準の絶対的貧困)撲滅を(国連目標10年前倒しで)達成しました。その結果、4億人の中間層が創出され、現状の中国の経済発展の原動力になっています。このことは、中国の人々は皆さんご存じで、習近平主席は大人気なのです。内政問題だけではなく、習近平主席は「人類運命共同体」を提唱し、「ウィンウィン、共存共栄、民主的な国際秩序、平和発展」構築に尽力し、具体的に「一帯一路」建設を推し進めています。その結果、発展の為のインフラ設備を手にした第三世界の国々は、このチャンスを捉えて経済発展を実現しています。これがグローバルサウスの台頭です。グローバルサウス諸国の人々の間でも習近平主席は有名で人気がある所以です。何れも米日、G7、西側政権にとって不都合な真実なのでしょう。日本のメディアでも、独裁者・暴君として習近平主席は印象操作されています。「習近平政権のエージェントなのではないかといったような誤ったメッセージを持たせてしまうのではないかとハラハラしました。」との中桐さんの感想も日本のメディア状況下では当然と言えば当然だと思います。でも、習近平主席の実像を知れば全くハラハラする必要は無いかと思います。

 次に、「ぼくは、侵略戦争には当然ながら、防衛戦争・民族独立戦争にも反対です。」と中桐さんは仰いました。この点、私の意見は違います。意見は違えども、反戦平和への想いは共通です。共通の想いを基礎に引き続き中桐さんとは共に頑張っていくことを前提に私の意見を述べます。
 私は、侵略戦争には反対ですが、民族解放戦争は断固支持です。イスラエル建国当初、侵攻するイスラエル軍の戦車に石礫で起ちあがったパレスチナの人々に、「投石を止めろ」と言えるでしょうか?!日本軍国主義による侵略戦争で、殺し尽くす、奪いつくす、焼き尽くす近代装備の日本軍に対し、槍と刀と旧式鉄砲で立ち向かった中国の人々に、「抵抗するな」と言えるでしょうか?!私は、決して言えないと思います。侵略戦争が現実となった場合、侵略戦争と民族解放戦争の両方に反対するという中立的な立場は存在しえないからです。この場合、中立とは強者即ち侵略戦争の側にくみすることに他ならないからです。侵略戦争(帝国主義者)側か民族解放戦争(人民)側か、何れの立場に立つかがシビアに問われる瞬間です。そして、紆余曲折、時間の長短はありますが、民族解放戦争(人民)は必ず勝利します。新中国の誕生(中国革命)がそのことを証明しています。

 続いて、「しかし中国や朝鮮民主主義人民共和国に対する不安や不信は反戦運動の担い手の間でもかなり根強く、そこへのアプローチは非常な丁寧さが必要という認識も改めて持ちました。」とあります。このことは、私も認識するところです。しかし、この不安や不信は事実誤認です。素直に私の意見を述べたいと思います。
 私は、中国も朝鮮にも何度か行ったことがあります。朝鮮は決してメディアが言うような「監獄国家」などではなく、人情豊かな居心地の良さを感じる国でした。見ると聞くとでは大違いです。私には何度でも行きたい国です。また、一昨年には、中国の新疆ウイグル自治区を訪れました。メディアで「鎖につながれたウイグル人労働者が強制労働をさせられている」という紡績工場に行きました。鎖につながれた人など一人もいません。ウイグル人労働者の皆さんはマイカー通勤でした。広大な工場でコンピューター管理された最新機器を操る労働者はワンフロワに一人です。労働者というよりもエンジニアと言う感じでした。新疆ウイグル自治区は一帯一路の物流拠点として日進月歩の大発展のさなかにあって活気にあふれていました。
 つまるところ、「中国や朝鮮への不安や不信」は、中国ネガティブキャンペーン(広義において「北朝鮮」バッシングを含む・ex朝鮮学校無償化排除)が「現代版暴支膺懲論」であるという本質を見抜けない為におこる「不安や不信」だと思います。人民の(帝国主義者・侵略を許さない)立場に立てば容易に見抜ける問題だと思います。

 最後に、“WTO”と“欧米資本主義・多国籍企業の無分別なグローバリゼーション”反対の問題について述べたいと思います。中桐さんが香港で逮捕されたときは、本当に心配しました。でも、元気に無事帰国され、心底ホットしたことを思い出します。
 この問題を述べるにあたり、はっきりと区別する必要を感じる事があります。それは"WTOの問題”と“香港・台湾の問題”を区別するということです。
 先に“香港・台湾の問題”。香港はイギリス帝国主義がアヘン戦争で中国から奪い植民地にしたところです。台湾は日本帝国主義が日清戦争で中国から奪い植民地にしたところです。元来、香港も台湾も中国の不可分の一部だということです。香港は、1997年にイギリスから中国へ正式に返還されました。台湾は、1971年の第26回国連総会決議2758号により中華人民共和国が中国を代表する唯一合法政府であり、(台湾は)中国の不可分の一部であることが(国際的に)確定しています(一つの中国の原則)(一つの中国の原則は、日中間でも日中共同声明、日中平和友好条約など4つの政治文書で、米中間でも上海コミュニケなど3つの共同コミュニケで確定)。要するに、香港、台湾問題は、いずれも中国の内政問題だということです。従って、「台湾独立支持」「台湾有事は日本有事」「香港民主化支持」の言動は内政干渉の不法行為です。にも拘らず、これら言動が日本でおおでをふるのは、かつての植民地支配者・宗主国国民としての歪んだ優越感が日本人に色濃く残滓しているからではないでしょうか。尤も、中桐さんは「香港民主化運動」の為にではなく、“欧米資本主義・多国籍企業の無分別なグローバリゼーション反対運動”の為に香港へ行ったのですからこの限りでは無いと思います。
 では、WTOの問題です。私は、WTOそのものが植民地主義、帝国主義の機関とは見ていません。WTOは経済の国連とも言われる組織です。そして、国連中心主義をとる中国はWTOに加盟しています。中国はWTO内部から、「人類運命共同体・一帯一路構想」を実践することで、WTOの質的変化を促しているよう見えます。それは、“欧米資本主義・多国籍企業の無分別なグローバリゼーション反対運動”に通底するものがあるのではないでしょうか。事実、WTO内での中国の活躍の結果、欧米諸国からは「機能不全」だとして、WTOそのものを白眼視する向きがあります。特に、WTOでの中国の活躍を嫌い、アメリカはWTOへの分担金支払いを停止し、米議会ではWTO脱退法案が審議されています。尤も、中桐さんが取り組んだ“欧米資本主義・多国籍企業の無分別なグローバリゼーション反対運動”は市民、国際連帯を基礎にする運動で、中国の「人類運命共同体・一帯一路構想」は国家レベルの取り組みです。当然、同列に論じることはできません。しかも、私は経済学者でもアナリストでもありません。一市民活動家の感じたままを述べたまでです。結論めいたことは到底言えません。中桐さんとも議論を重ねたいと願います。

 以上要するに、「戦争国家アメリカ(WARmerica)」に言われるまま中国との戦争への道は断じて進んではならないということです。日中友好を基礎に「人類運命共同体・一帯一路」の平和発展の道に日本の活路があります。「日中友好は最高の安全保障」です。日中友好が「どうしたら戦争なくせるの?」の明確な回答でしょう。
 既に、アメリカには独自に対中国戦争をする力がなく、日本を駒として使うしか方法がありません。なりふり構わない「トランプ関税」に象徴されるように、経済的にも強力だった昔日の面影は最早ありません。それに引き換え、中国は決してアメリカに取って代わり覇権を求めようとはせず、「人類運命共同体」の平和発展の道を貫き、大発展を遂げています。
 対米従属ではなく日中友好が最も重要だということがお判りいただけたことと思います。


 京都府精華町の陸上自衛隊祝園弾薬庫に中国攻撃用の新型長射程ミサイル「一二式(ひとにしき)ミサイル」格納用の新弾薬庫の増設計画が進んでいます。このミサイルが発射されれば、着弾地点では多くの中国の方々が無惨に亡くなる事に思い至すべきです。10/19には、精華町現地で「一二式ミサイル」配備反対の全国集会が開催されます。大阪城狛犬会は「日中友好」を掲げて参加するする予定です。痛恨の歴史を繰り返さないために。

【平和と文化を創る祝園・全国大集会】にご参加ください

日時:10月19日(日)11:00~15:30+平和パレード
場所:けいはんな記念公園


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「 どうしたら戦争をなくせるの?」集会に参加して

中桐康介

2025年7月6日

 今日(7月6日)はおつかれさまでした。懇親会は遠慮させてもらったので、記憶の新しいうちに何点か感想をお伝えします。

・ダニーさんの話はとてもよかったです。子どもたちにも聞かせたいと思いましたし、ダニーさんの「中学生向け」の本は買って帰りました。○○さんの高校でダニーさんの講演ができないかとか、相談してみようと思います。「隣の国は敵じゃない」ということを次の世代に伝えたいというメッセージは心に残りました。

・石田さんの話もよかったと思います。撫順の奇跡については知らない人も多いと思うので、伝える機会となってよかったと思います。中国の武力(軍事力)について、脅威を感じているのはどちらかという点で中国側の視点を伝え、日米の視点とは違う視点があるということをリアルに伝えていただいたのもよかったと思います。  ただその後半になると、思いが強すぎるようでちょっと熱がこもりすぎて、初めて聞く人には習近平政権のエージェントなのではないかといったような誤ったメッセージを持たせてしまうのではないかとハラハラしました。

・討論については、今後続いていくその最初の取り組みとしてはよかったと思いますが、消化不良であったような気持ちがしています。最後のほうで女性の方が述べておられましたように、いままさにガザで虐殺が進行している状況で何ができるのかという具体的な戦術論を交わせたら未来に展望も持てるのかもしれませんが、まだその段階ではないのかもしれません。

・ぼくは侵略戦争には当然のことながら、防衛戦争・民族独立戦争にも反対です。この点は会場から発言された方と同じですし、理想論といわれてもダニーさんのようなピースフルを貫く姿勢に共感します。

・対話が第一という点と、対米依存から脱却して日中(日韓・日朝)友好をすすめるという点には誰も異論はないと思います。しかし中国や朝鮮民主主義人民共和国に対する不安や不信は反戦運動の担い手の間でもかなり根強く、そこへのアプローチは非常な丁寧さが必要という認識も改めて持ちました。ホームページに書いてある、正しい情報はそこにある、と言われても、響かないところがあるような気がします。ぼく自身の体験でいうと、2006年、香港WTOで逮捕されたときにぼくを助けてくれたのは香港の「民主勢力」でした。日本やアメリカ、いわゆるグローバルサウスの民主主義勢力の運動の人たちです。香港WTOに抗議する運動自体、欧米資本主義・多国籍企業の無分別なグローバリゼーションに対する抗議であり、植民地主義・帝国主義への異議申し立てでした。香港の「民主勢力」も、いわゆる日本の左翼と同じような情報を収集し、いっしょに闘う仲間です。WTOへの抗議行動も、逮捕を跳ね返して起訴取り下げを勝ち取った闘いも、香港の労働者や学生の運動の成果であり、ぼくも多くのものを学び、日本での運動に活かしてきました。

・しかし彼らは香港での国家安全維持法にかかる「事件」で「弾圧」を受けました。いま香港に残るぼくを助けてくれた人も、この事件以降、「自由」に物を言えなくなりました。ここでぼくも葛藤を抱えました。中国は欧米や日本とは違うタイプの民主主義を実践している。「自由」という言葉の意味そのものが異なる。このことは理解していても、その過程で異なる「自由」を強制された友人たちはとても納得することはできなかったでしょう。

・理想的には、欧米の覇権主義と対峙する立場でいっしょなわけですから、ぼくの友人たちも納得するかたちで体制移行がすすめられたらよかったのだろうと思いますが、残念ながらそうはなっていません。誰かを犠牲にしたうえでの発展は、それが正しい民主主義の発展だったとしても、その当事者にとっては「弾圧」としか思えないだろうと思います。ここのところはぼくも整理がつかないでいます。

・そのうえでそのうえで、ここが乗り越えないといけないところではないかと思います。日中(日韓・日朝)友好、脱アメリカをすすめるうえで、中国(国家)は信頼できると思うことができないと、歩み寄ることは難しいと思います。香港問題で、さらに今後台湾でも同じような問題が起こりうると思いますが、5年前とは違う形で解決を見出さないといけないと思います。

・「どうしたら戦争をなくせるのか」、そのアイデアは僕にはありません。日朝友好の田植えはとてもとても良い取り組みだと思ってきました。朝鮮の人、子どもたちといっしょに過ごす時間を作れるような取り組みを再度できたらいいなあと思います。

 

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「 どうしたら戦争をなくせるの?」私の意見・・・その12

河田隆史

2025年7月2日

武力で平和は守れない・・ならどうする

 中江兆民の『三酔人経綸問答』を再読した。世界の平和と軍事力を考える時、理想論と現実論の中間にある真理を追求するべきだと兆民は説いている。中間の真理とは、世界平和のために必要なのは「友好を重んじ国威と武力を誇示しない」という「子供でも知っている」ような当たり前のことだという。これが難しい。
 石垣島・宮古島など琉球弧が最前線として軍事要塞化している。軍拡の動きは日本だけはなく、ウクライナ戦争を契機に世界中の国が軍事力拡大に奔走している。そこでは戦争回避や戦争批判の議論が軽視され、「平和を守る」ための「抑止力」のみが重視されている。「武器があるから戦争がある」のか「戦争が起きるから武器が必要」なのか。鶏か卵かどちらが先かの結論は、バランスにあると兆民なら言うだろう。
 軍事力の目的は侵略をさせないという「抑止」だ。しかし「抑止」論は軍拡競争を引き起こして戦争を生み出すことは歴史が証明している。理想論からすれば「武器があるから戦争が起きる」のであり、少しずつでも軍縮をすれば戦争が起こったとしても小規模なものにとどまる。
 しかし力による現状変更を是認する国があるのだという「現実?」がやっかいな問題だ。「良心的な国」だけが軍縮して、「侵略国」が優位な軍事力を持っている世界になってしまえば、そのような国の発言力だけが大きくなることになる。もちろん「良心的な国」と「侵略国」のはっきりした区分は難しいのだが。
 今は現実論が圧倒的に強くなりすぎてバランスが悪い。中江兆民の中庸な主張さえも、今なら理想論と分類されるだろう。理想を主張する側の役割が重要だと痛感する。現実に引っ張られて軍備拡大することへの警鐘がもっと必要だ。

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どうしたら戦争をなくせるの?」私の意見・・・その11

かわすみかずみ

2025年7月2日

戦争のない社会を目指して

 ウクライナとロシア、イスラエルとパレスチナなど、現在も続く戦争で多くの犠牲者が出ている。私たちができること、私たちが変えることができること、その実行と思いが世界を変えると信じ、この投稿を行う。
 まず、経済システムを変えること。これまでお金を持ったものだけが優遇される制度によって、私たちは縛られてきた。これから私たちが目指すのは、社会をよくする活動や生活に必要な仕事をすることでお金がもらえるシステムへの変更だ。また、環境や人に悪影響を与えるものに大きなペナルティを課すことや人々による監視システムを作ることが必要だ。
 次に、身体を健康に保つ仕組みつくりの徹底があげられる。高齢者や障がい者、子どもや妊婦さんなど、みんなが健康で生きられる仕組みや人権が守られるための制度改革が必要だ。
 政治家は、みんなが幸せに生きられる制度を作ったら評価される制度にする。住民が監視を行う。
 最後に、草の根のネットワークと国連の改革をあげる。いろいろな場所で生きる人が情報交換を自由に行える時代になった。地域の課題や助けてほしいという情報を共有できる媒体を早急に作り、みんなで助けていく仕組み作りや、国連では小さい国も貧困国も平等に発言でき、常任理事国も持ち回りにするなどの改革が必要と思われる。

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「どうしたら戦争をなくせるの?」私の意見・・・その10

高橋美香子

2025年7月2日

中国に帰ったパンダに思うこと

 6月28日に白浜アドベンチャーワールドのパンダ4頭が中国に返還されました。私もパンダが大好きなので、非常に残念で悲しく思います。しかし、日本では、中国のパンダ外交などと言う言葉を使った批判的な報道が流れています。果たしてそうでしょうか?私はパンダが中国に帰ったことは、悲しい気持ちもありますが、むしろ良かったと思います。なぜなら、日本は現在、南西諸島などに中国に対するミサイル基地を次々と建設しているからです。
 中国の立場からすると、こんな敵対的な行為をしている日本に大切なパンダをおいておけるでしょうか?
 日本では、今年戦後80年ということで、戦争に関する報道も数多く見られますが、いずれも被害の歴史ばかりです。日本がかつて起こした侵略戦争で中国をはじめとするアジアの多くの人びとに筆舌に尽くしがたい被害を与えた歴史はまるでなかったかのようです。この日本の起こした侵略戦争がなかったかのような社会風潮が、とても危険で、再び中国に対して戦争しようとミサイルを並べ立てているのではないでしょうか?しかも、今度は日本の意思でやる戦争と言うより、アメリカによって計画された戦争なのです。それはかつてジョセフ・ナイという人が書いた「日中戦争計画書」で明らかになっています。私は日本がかつて中国やアジアの国々に侵略したことを真摯に反省し、二度と侵略戦争を起こしてはならないと思います。ロシアとウクライナの戦争を見てください。あれも裏でアメリカが糸を引いて、同じ民族同士殺し合いをさせられているのではありませんか?日本が、アジアの一員として、中国や他のアジアの国々と友好を深めることこそ、アジアの平和につながると思います。
 余談ですが、パンダに関連して言うと、大江康弘白浜町長は、「南京大虐殺はなかった。」とか、「従軍慰安婦は強制ではなかった。」とか言う歴史修正主義者であり、台湾の副総統にも会いに行くような反中国丸出しの政治家です。さらに、パンダの産地として知られる成都市内の、成華区という行政区から、再三、友好都市の関係を結ばないかとの話が来ていたのに、断り続けていたといいます。このような人が町長では、パンダは二度と白浜には戻ってこないでしょう。白浜町民は、この町長を落選させるしかありません。


<補足資料>

日本軍と中国軍に「殺し合い」を行なわせる

れが米国政権中枢の戦略文書に書かれている

この米国政府の戦略文書は、かつてCIAを統括する米国大統領直属の国家安全保障会議NSCの議長で、同時に東アジア担当者であり( クリントン政権 )、後に安全保障担当の国防次官補であったジョセフ・ナイが、米国上院下院の200名以上の国会議員を集め作成した、対日本への戦略会議の報告書である。

その内容「日中戦争計画書」は以下の通り

1、東シナ海、日本海近辺には未開発の石油・天然ガスが眠っており、その総量は世界最大の産油国サウジアラビアを凌駕する分量である。 米国は何としてもその東シナ海のエネルギー資源を入手しなければ  ならない。

2、そのチャンスは台湾と中国が軍事衝突を起こした時である。
当初、米軍は台湾側に立ち中国と戦闘を開始する。
日米安保条約に基づき、日本の自衛隊もその戦闘に参加させる。
中国軍は、米・日軍の補給基地である日本の米軍基地、自衛隊基地を「 本土攻撃 」するであろう。
本土を攻撃された日本人は逆上し、本格的な日中戦争が開始される。

3、米軍は戦争が進行するに従い、徐々に戦争から手を引き、日本の自衛隊と中国軍との戦争が中心となるように誘導する。

4、日中戦争が激化したところで米国が和平交渉に介入し、東シナ海、日本海でのPKO( 平和維持活動 )を米軍が中心となって行う。

5、東シナ海と日本海での軍事的・政治的主導権を米国が入手する事で、この地域での資源開発に圧倒的に米国エネルギー産業が開発の優位権を入手する事が出来る。

6、この戦略の前提として、日本の自衛隊が自由に海外で「 軍事活動 」が出来るような状況を形成しておく事が必要である。

 

(この資料は、かなり前のものですが、2015年に安保法制が成立した今、アメリカの思惑が着々と進められようとしています。6番の『日本の自衛隊が自由に海外で「 軍事活動 」が出来るような状況を形成しておく事が必要である。』ということは、まさに現実のものになっています。私達日本人は、このアメリカの企みに絶対に乗せられてはなりません。絶対に中国と戦争する事態を起こしてはならないと思います。)

 

 

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「どうしたら戦争をなくせるの?」私の意見・・・その9

山本 優

2025年6月30日


どうしたら戦争をなくすことができるのか?

①戦争の不条理を伝える平和教育を世界中で充実させる。
 そのために、各地の戦争体験者の体験談をデータベース化し、
 世界中で共有し、いつでも閲覧することができるようにする。
②核兵器をはじめとする兵器の開発などに関わる企業活動を一切認めず、また各国でもそのような活動を認めない体制を国際社会で構築する。
③各国の為政者が、戦争を認めない国際条約を発効させ、各国に
 加盟・署名・締結させる。
④対話による国際理解を第一とする外交を、各国に徹底させる。
まずは、戦争が人殺しを認めるものとして絶対に許されてはならないという認識を
すべての国で徹底させることが重要であると考えます。
まだまだ考えはあると思いますが、日ごろから考えている内容は
以上のようになるかと思います。

7月6日 どうしたら戦争をなくせるの? 参加させていただきます。
どうぞよろしくお願いします。


 

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「どうしたら戦争をなくせるの?」私の意見・・・その8

山橋宏和

2025年6月29日


「禹王の治水伝説と戦争の止め方」

「戦争をなくすにはどうしたらよいのか?」についての私の考えを書きます。エッセイですので、リラックスして読んでくださるとうれしいです。

 さいきん「禹(う)王と日本人」(王(ワン)敏(ミン)著 NHKブックス)という本で「禹(う)王の治水伝説」について知りました。禹(う)は今からおよそ4000年前の中国の人、中国の最初の王朝である「夏(か)」の創始者です。禹は黄河の氾濫を治めて「中原(ちゅうげん)」(黄河の中下流域の平原地帯の呼称)を農業に適した肥沃な土地に変え、中華文明を開いたとされる人です。これまで「夏(か)」は伝説上の王朝で実在したかどうかは不明とされてきましたが、1957年に河南省の洛陽に「夏(か)」と同じ3,500~3800年前の都市遺跡(二里頭遺跡)が発見され、その後ほかにも黄河流域で同じ時代の遺跡が100か所ほど発見されて研究が進んだ結果、今の中国では「夏(か)」は実在した王朝だと考えられています。
 「禹王の治水」の物語は、中国では小学校で習います。実は日本でも明治のころまでは、禹王は「治水神」として広く尊敬されていました。全国で132か所の「禹王にまつわる遺跡」が確認されています(注1)。近畿圏では氾濫を繰り返した淀川水系を中心に17か所の禹王にまつわる碑があります。私も大阪府島本町高浜の鎮守・春日神社に足を運んだことがあります。ここは桂川と宇治川と木津川の三川が合流して男山と天王山の狭隘部(きょうあいぶ)を抜けて大阪平野に流れ込む場所で、慢性的に洪水に悩まされていた地域です。この神社の境内に「夏大禹聖王碑」があります。

(注1)「禹王と治水の地域史」(古文書院)「治水神・禹王研究会」発行より

 まず簡単に禹王の治水伝説を紹介します。

 今から4000年ほど前の中国、堯(ぎょう)帝の治世中、黄河流域で大洪水が発生し、農作物は水没し、家屋は破壊され、人々は高地へ移住しなければなりませんでした。堯(ぎょう)は鯀(こん)に洪水を治めるように命じました。鯀(こん)は9年間洪水の制御に努めましたが、洪水を鎮圧することはできませんでした。なぜなら、彼は堤防やダムを築くことしか知らなかったからです。その結果、大きな堤防やダムを築いても、それが決壊すれば以前よりさらに大きな洪水が起こるという悪循環に陥っていました。堯(ぎょう)の後を継いだ舜(しゅん)は、自ら治水現場を視察しました。鯀(こん)が仕事をきちんとこなしていないことに気づいた舜は鯀(こん)を処刑し、鯀(こん)の息子の禹(う)に洪水を治めるよう命じました。
 禹(う)は父のやり方を総括し、大雨で増えた水を海や周辺へ流す「疎水(そすい)」という方法を採用しました。堤防を作るだけでなく、川底を掘って大量の水が流れるようにし、また山や高地を削って運河を作り、その向こうの低地に水を流すという方法をとりました。
13年間の懸命な努力の末、洪水の被害は少なくなり、荒れていた土地には水が流れ、黄河流域の中原(ちゅうげん)と呼ばれる地域は農業に適した肥沃な土地になりました。
 禹は洪水を治めるために黄河流域をくまなく歩きました。自分の家の前を通り、赤ちゃん(自分の子供)の泣き声が聞こえることもありましたが、一度も中に入ることはありませんでした。一刻も早く治水事業を完成させたかったからです。これらの功績が認められ、舜は禹に王の位を譲りました。(伝説の要約はここまで)

 はこの治水工事を行うため、スコップや方向コンパス、距離計、水平器などを持ち歩きました。まずは周辺地域一帯の高低差を記した地図を作製したと考えられます。地域一帯の高低差が分からなければ水を周囲に流すことはできません。彼の治水工事はまず周囲全体の状況を調査することから始めたのです。(「西遊記」の孫悟空が持っている「如意(にょい)棒(ぼう)」は禹王が使っていた「定海神針」という道具を模したものです。「定海神針」は川や海の深さを測ったり、底を突き固めたりするために使用されたと伝えられています。)
 この禹王伝説が古くから日本に伝わっていたということは当然と言えば当然で、日本に漢字が伝わったころには禹王はすでに中国の書物に記された伝説上の人物でした。禹の名前は「古事記」にすでに見られます。京都御所には禹王の伝説を絵にした「大禹戒酒防微図(だいうかいしゅぼうびず)」という狩野派の画家が描いた襖絵(ふすまえ)があります。
 また「平成」という元号の出所は「尚書」という説と「史記」という説がありますが、「尚書」の「大禹謨(だいうぼ)」には、「地平(・)天成(・)」(地平(たい)らぎ天成(な)り)という禹王の治水を称えた一節があり、ここからの引用と考えられています。「史記」の最初の部分にはこの禹王伝説が書かれています。
 黄河が峡谷に流れ込んで激流になる中国河南省の龍門(禹問口)は、禹王が切り開いた峡谷と言われ、かつてその両岸には東西でペアになった禹王廟がいくつも作られ、一群をなしていました。多くの中国の人たちが詣でる神聖な場所でした。日本でも5月5日の「鯉のぼり」、「登竜門」などの言葉がありますが、それはこの地にまつわる禹王伝説から来ています。
 しかし日本軍は中国侵略の中でこれらの廟を砲撃して破壊しつくし、現在は跡形もありません。
 明治になってこの「禹王伝説」が日本であまり語られなくなった背景には、「日清戦争」以降の中国敵視政策の中で、当時の支配者たちが「中国建国の王が治水神として日本人の尊敬の対象であっては具合が悪い」と考え、禹王を歴史から抹殺しようと考えたのではないかと思われます。

 し話は横にそれますが、夏王朝が中国最初の王朝というけれど、「禹に治水を命じた舜の時代は王朝ではなかったのか?」と思いませんでしたか?舜も尭もいくつかあった部族の長であり、王ですが、当時はまだ世襲制ではありませんでした。夏は最初の世襲制の王朝なのです。世襲制というと今の私たちには「遅れてる」という感覚ですが、世襲制というのは当時としては進歩的なことでした。世襲ができるということは、前の王と次の王をつなぐ、世代を越えて政治のノウハウを継承する行政組織が存在したということだからです。世襲制になる前の時代、尭、舜、禹の王位継承は「禅譲」という形でしたが、それ以前は「禅譲」が行えなければ、次の王を決めるためには戦争をして新たな覇者が王にある時代でした。年中、戦争に明け暮れていた時代から、民衆はたとえ王に隷属を強いられたとしても、王の生死にかかわらず安定して生産活動ができる社会にはなったという意味で、歴史の進歩と言えるのです。
 中国やロシアやイラン、朝鮮民主主義人民共和国を「権威主義国家」と言って馬鹿にしているアメリカでは、4年に一度の「大統領選挙」で「内戦状態」になります。欧米が言うところの「権威主義国家」にはそれぞれ独自の政治システムがありますが、欧米とは違う政治システムを十(じっ)把一(ぱひと)絡げ(からげ)にして「権威主義国家」と蔑称しているようです。しかしこれら「権威主義国家」にはあって「西欧型民主主義国家」にはない政治機能があります。それは歴史の教訓を現実政治に反映させるシステムです。王族の血筋、宗教団体、政党と、違いはありますが、長い歴史を通した政治経験の蓄積がある点では共通です。とりわけ中国では、司馬遷の「史記」以来、過去2000年以上にわたって史実を列記した歴史書が途切れることなく残っており、歴代の政治家や官僚はそこに様々な教訓を求めて学んできました。隋の時代に始まり清の時代まで1300年続いた「科挙」という官僚登用試験(超難関の試験)は、為政者に最高水準の教養を義務づけてきました。
 アメリカでは大統領が変われば国の方針が変わります。行政組織の職員も代わります。長期的な国の指針など立てることはできません。経済が衰退するのは当然です。欧米が「権威主義国家」と馬鹿にしている国の方が安定的に経済成長しているのです。欧米は世襲制国家以前の無秩序社会(今から4000年以上前の石器時代)に逆戻りしようとしています。ちなみに中国の政治システムは、「人民の要求を満たす」ことと、「歴史上の経験を教訓化し、同じ過ちを繰り返さないよう次の時代に継承する」ことを両立させることに心がけている、そしてそれが可能な政治システムだと思います。平面軸と時間軸を兼ね備えた、科学的法則性を重視する政治システムです。
 日本を含む欧米型の「民主主義」には、平面軸はあっても時間軸がありません。その時間軸がない政治システムの思考回路からすると、時間軸を持った政治システムというのは、世襲制であろうとなかろうと「権威主義」と映るのです。このまま欧米型民主主義を続けていると、一足飛びに弱肉強食の時代に逆行する危うさを感じるのは私だけでしょうか?最近は欧米の「選挙で選ばれた指導者」たちよりも、「中東の王様」たちの方が、よほど民主的で人道的だと思えるから不思議です。

 話を戻します。
 禹王の治水伝説に学ぶならば、洪水を防ぐために堤防を築くだけの方法では、水量が増えればより大きな被害になります。
 「敵が攻めてくるから防衛費を増やせ」「ミサイル基地を作れ!」「兵隊を集めろ!」と叫んでいる人たちがいます。軍備を増強すれば「敵」もまた軍備を増強します。決壊すれば被害はより大きくなるだけです。
 必要なのは、禹王が周囲全体の地形を調査したうえで、増水した場合の水の逃げ道を切り開いたように、全世界が団結したうえで、それぞれが対立する両勢力の後ろ盾になったり、なだめたり、すかしたりして、流す水量や方向をコントロールするという発想が必要と思います。これは欧米型の冷戦思考ではなかなか出てこない平和思考です。そしてそれをやろうとしているのが中国です。ただこれは当然中国一国ではできません。全世界が団結し、協力することが必要なのです。戦争している両勢力を非難するだけではなく、団結していない世界全体が反省すべきなのです。
 先日、京都の城陽市で伊勢崎賢治さんの講演会があって、今回の7・7集会の案内ビラを配布する目的で参加しました。そこで伊勢崎さんがおっしゃっていたことにとても共感したので、その話を少し紹介します。
 記録しているわけではありませんので、正確な伝達はできませんが、おおよそこんな話でした。・・・プーチンは間違っている。ウクライナを侵略するのは明らかに国連憲章違反だ。プーチンは悪魔だ。しかし(・・・)ロシアがウクライナを侵略するに至った過程も見なければならない(NATO の東方拡大などを示唆していると思います)。もっと大きな悪魔もいるんじゃないか?(アメリカを示唆している?)あのね、停戦を実現しようと思ったら、どちらかを絶対悪と決めつけてしまったら、それはできないんです。あくまでも相対的に考えないと、停戦はできない。・・・
 ・・・パレスチナの問題、私は長くパレスチナの問題にもかかわっていたので、本当に早く平和になってほしいと思っています。
(司会者からの、どうしたらよいか?という質問に対して)私は別に中国からお金もらっているわけじゃないですけどね、中国の果たしている役割には非常に期待しています。わたしは実は香港の民主化運動の時はそっちの方(民主化勢力の方)を支持していたんですけどね(ここは私とは意見が違います)、しかしこの危機的な状況の中で、中国は非常に大きな役割を果たしています。イランとサウジを和解させた(注2)。パレスチナのファタハとハマスを和解させた(注3)。ほかのどこの国が、そんなことできるんですか?中国しかないですよ。・・・

(注2)2023年3月10日、イランとサウジアラビアが国交正常化を発表した。中国が仲介した。以前からイラクやオマーンもこの和解を後押ししており、中東全体の結束を固めるうえで画期的だった。

(注3)2024年7月23日、ガザを支配するハマスとヨルダン川西岸のパレスチナ自治政府を主導するファタハを含むパレスチナの14の政治組織が北京に集まり、ファタハを中心にパレスチナの統一政府を発足させた。それまでハマスはイスラエルを国家として認めない立場をとっていたが、国連の「二国家解決」を支持する立場に転換した。これまで約150カ国がパレスチナを国家承認している中、G7の国は一国も承認していない。理由はパレスチナには統一政府がないということだったが、これでその承認しない根拠が失われた。

 国連でフランスとサウジアラビアが共同議長になってパレスチナ問題の平和解決についてのハイレベル会議が6月17日(最初は6月2日だったが延期された)から予定され、フランスのマクロンは年内にパレスチナ国家を承認することを予告していたが、6月13日にイスラエルがイランを攻撃したことによって、この会議は再び安全が保障されないなどの理由で延期になった。
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 戦は、「裁き」ではなく仲介です。戦争を進めている側が「制裁」「裁き」という言葉を使っているのです。「制裁」には軍事力が必要ですが、「仲介」にはさして軍事力は必要ありません。今の世界に支配者はいない、皆対等だという立場を貫くことが重要です。
 今もっとも急がれるのは、国連で決議されている「二国家解決」について、その中身、具体的なロードマップを作る作業だとおもいます。
 2024年の10月30日、サウジアラビアのリヤドで「二国家解決策」に関する初のハイレベル国際同盟会議が開催されました。主催したのはサウジアラビア外相のファイサル王子です。参加したのは90カ国以上、国連加盟国の約半数。主な後援国・主催国はサウジアラビア、ノルウェー、欧州連合(EU)、アラブ連盟。公表されている参加国はアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スペイン、アイルランド、イタリア、ベルギー、スロベニア、トルコ、ポルトガル、カタール、UAE、ヨルダン、アルジェリア、パレスチナです。この会議に欧米が参加したのは驚きです。サウジアラビアの力は恐るべしです。改めて、イランとサウジアラビアの国交正常化の意味の大きさが理解できます。
 イスラエルの中でも1999年から2001年まで首相を務めたエフード・バラク氏や、エフード・オルメルト元首相(2006–2009)などが、二国家解決を支持する姿勢を鮮明にしています。バラク氏は2024年7月下旬に読売新聞のインタビューに応じた際、「イスラエルとパレスチナが共存する二国家解決が、実現可能な唯一の解決策だ」と強調し、現在のガザでの戦闘について「戦略がなく、目的も達成されていない」と述べ、ネタニヤフ首相ら現政権を厳しく批判しました。
 エフード・オルメルト元首相は2025年6月9日、パリでパレスチナ自治政府の元外相ナセル・キドワ氏と共に行ったインタビューで、「ガザ紛争の継続は犯罪であり、唯一の解決策は二国家解決だ」と明言しました。彼はまた、米国がイスラエル政府に対して和平への圧力をかけるべきだと主張し「トランプ大統領はネタニヤフをホワイトハウスの大統領執務室に呼び出し、カメラの前で「ビビ(ネタニヤフの愛称)、もう十分だ」と言うべきだ」と訴えました。

 日本にも禹王のような方がいます。禹王の治水の話を知った時、最初に浮かんだのは中村哲さんです。アフガニスタンで彼が中心になってひらいたマルワリード用水路は、140平方キロの荒れ地を農地に変え、65万人が自給自足できるようになりました。
 彼が用水路を作り始めると、生活のために仕方なくタリバンに入って戦争をしていた人たちが、タリバンをやめて一緒に仕事をしてくれるようになったと言います。同じころ、米軍は村人の結婚式に空から爆弾を落として何の罪もない人たちを殺していました。今、アフガニスタン東部の都市ジャララバードには、中村哲さんの名を冠したスーパーマーケット「ナカムラ」が開業しています。このスーパーは、中村さんの遺志に共感した地元の若者たちが共同出資して立ち上げたもので、「銃を置いて働きに来てほしい」というメッセージを掲げ、貧困層の若者の雇用創出を目的としています。
 2025年5月、中国とイランを結ぶ新たな鉄道回廊が正式に開通し、初の貨物列車が中国・ウルムチからイランの首都テヘランに到着しました。この鉄道は、海路で40日かかっていた時間を15日に短縮しました。イスラエルやアメリカがイランを攻撃する一か月前のことです。
 この鉄道回廊は、中国の新疆ウイグル自治区からカザフスタン、トルクメニスタンを経由してイランに至る全長約4,000kmのルートで、「一帯一路」構想の一環として整備されました。中国製品の輸出やイラン産原油の輸送において、アメリカが影響力をもつ海上輸送を回避できるため戦略的な意味も大きいでしょう。中国もイランもアメリカと海でドンパチをやるのではなく、黙って山の中に水路(鉄道)を切り開いたのです。イランがイスラエルやアメリカに攻撃されても自制的なのも、すでに欧米による経済封鎖を打ち破っているからです。ユーラシアを南北に通じる鉄道網は、ロシアから中央アジアを経由してインドまでつながっています。欧米があちこちでミサイルの打ち合いをやっている時に、これらの国々はユーラシア大陸の大地で汗を流して働いているのです。
 声高に「第三次世界大戦の危機」を言う人たちがいます。たしかに危機的な状況はありますが、第二次世界大戦のときは二つのブロックが衝突したのに対し、今はブロック化・囲い込みをしようという欧米と、囲い込みに反対するブリックスはじめグローバルサウスのせめぎあいだと思います。そして今はグローバルサウスの方が、人口の上でも地球上を占める面積でも圧倒的に規模が大きいし、経済的にもすでにG7を凌駕しています。洪水(世界大戦)ではなく、地球規模で水路を張り巡らすチャンスと考えたいです。
 日本もしっかりグローバルサウスの側に立つことが必要です。
 「トランプさん、日本は防衛費を増やすのではなく、そのお金で農業を再生し、教育、民生を充実させ、どこの国とも仲良くやっていきますよ。トランプさん、あんたの言いなりにはなりませんよ!」と言える総理大臣が出てくれば、日本だけでなく世界の緊張緩和にも大きく貢献すると思います。(以上)

 

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どうしたら戦争をなくせるの?」私の意見・・・その7 

西端順子

2025年6月20日

戦争は止めなければならない!! 
     「民衆責任」とは・・・・

「人権が公権力によって侵害されたなら 各人の抵抗は権利ではなく 義務だ」
これは ドイツ、ヘッセン州など3州の憲法にある言葉です。ナチスに加担した戦争責任にむきあってのことです。今の日本国憲法にあてはめたらどうなるのでしょうか?「①・・・武力の行使は国際紛争を解決する手段として永久にこれを放棄する。② ・・・陸海空軍、その他の戦力は、これを保持しない。」 九条の要の部分です。これらの文面は誰が見ても、今や政権から藻屑のように蔑ろにされているといっても過言ではありません。
今やこの憲法の本来の精神を取り戻すのは市民の力が問われているのだと思います。まさに「平和に生きる権利」が侵されたのを取り戻すために動くのは、「私たちの義務」なのでしょう。
    
では、あるべき姿は どこかにあるのか?と見たとき 私は韓国の人々が ユン・ソンニョル元大統領の発した戒厳令に対して、「誰に言われるでもなく、自分が命の危機に直面するかもしれないことを予感しながらも、かつての軍事政権の弾圧政治に、どんなことがあっても戻してはならないとの堅い決意をもって一人ひとり町に出ていった」 あの姿なのだと思うのです。

    今、戦時に向き合って市民運動は懸命に動いています。 沖縄から西日本へ、更に関東へ、戦争をとめるために市民が繋がって、政府に交渉しつつすすめていっています。それぞれのところでの行動することを積み重ねなければならないのでしょう。

    そして、私たち、「南京60・大阪実行委員会」は・・・以下、中国との市民交流こそ時流に流されない私たちがやるべき事と考えて取り組むことにしました。
    日本の右傾化で、過去の戦争の後始末もできていません。それどころか、“自虐史観”と決めつけることで、歴史の事実に蓋をしているのが日本社会です。「過去に目を閉ざす者は過酷な過去をもう一度経験させられる」のヴァィツゼガーのことばそのものを行っているのです。「日本はかつて中国で何をしたのか」この事実の認識を広めていかなければなりません。私たちは多くの中国の人々の戦争被害を個別にききとってきました。日本兵の加害の具体的事例は、目を覆うような残虐な内容ばかりです。リーベンス・クイズ(日本の鬼)と言われた所以です。中国の人々の心も体も何年経っても癒えることはありません。にもかかわらず、中国は賠償放棄し、捕虜は何年もかけて、人道的扱いで「鬼から人間に戻して」帰国させるという対応をしたのです。日本は「捕虜はせぬものなり」、と皆殺しでした。その中国にミサイルを撃ち込むというのでしょうか!それは耐えられない事です!! 過去をふまえた独立国としての冷静な外交がなされなければなりません。
日本政府が軍備を進める中で、「民間の草の根の運動が平和をつくる」そのほんの1ページにでもなったら・・・とねがって南京スタディ―ツアーを行います。
                                

 

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「どうしたら戦争をなくせるの?」私の意見・・・その6
山橋

2025年6月10日

アメリカ、「ガザ無条件停戦案」に反対票を投じる!

 6月4日、国連安全保障理事会で、パレスチナ・ガザ地区での「無条件かつ恒久的な」即時停戦を求める決議案の採決があったが、常任理事国5か国のうちアメリカだけが拒否権を行使したために否決された。非常任理事国10か国とアメリカ以外の常任理事国4か国はすべて賛成した。

 この決議案には、即時停戦のほかにガザに残る人質全員の解放と、人道支援をめぐる制限の解除も含まれる。

アメリカの国連副大使は、決議案について、「停戦に向けた外交努力を妨げる」ものだとし、「ハマスを非難せず、ハマスに武装解除してガザから撤退することを求めない、いかなる措置も我々は支持しない」と述べた。

 このアメリカの副大使の発言は、イスラエルの主張をそのまま代弁するものだ。ネタニヤフの言っていることと全く同じだ。ユダヤロビーから巨額の献金を受けているアメリカの政権は、この大惨事に直面しても相変わらずイスラエルの言いなりだということが明らかになった。ネタニヤフがガザの200万人を皆殺しにしても、トランプはガザの土地を自分のものにしたいのか?

 イスラエルはこれまで5万4607人(6月4日)のガザ市民を殺害した。この中には瓦礫の下に埋まっている遺体や餓死や病死した人の数は含まれていない。すでに20万人以上が殺害されていると予想する団体もある。それだけではなく、国連によるガザでの人道支援を妨害し、国連職員はじめ赤新月社などの救助隊員を400人以上殺害し、人道支援そのものを妨害している。

 イスラエルは国連や民間の人道支援をすべて遮断したうえで、「スズメの涙」ほどの支援物資を積んだトラックを搬入し、イスラエル軍はそこへ集まった人々を連日銃撃し、5月28日から6月7日まで110人を殺害し、580人以上を負傷させた。イスラエル軍はパレスチナの人たちに、「飢えで死ぬか?銃撃で殺されるか?」という「悪魔の選択」を強いている。

 そして、この作戦を支援しているのがアメリカだ。この「スズメの涙」の支援物資を搬入していのはアメリカが支援する官製の「民間人道支援団体」、「ガザ人道財団」だ。アメリカは囮(おとり)の「支援トラック」を搬入し、イスラエル軍がそこに集まる人々を銃撃するという連携プレーで、ガザの人たちを虐殺している。この巨大な戦争犯罪を前にして、アメリカは「停戦に反対」しているのだ。これは裏返せば「虐殺支持」「ガザの民族浄化支持」ということに他ならない。

 虐殺を支持する米軍を日本に駐留させておいてよいのか?

 アメリカはイスラエルに対して2024年会計年度で2兆7千億円の軍事支援を行ったが、さらに2024年4月には4兆円のイスラエルへの緊急支援を可決している。アメリカ政府が虐殺を支持しているのは明らかだ。

 日本政府は「アメリカとは価値観を共有する国」と言っている。

 本当にそれでよいのか?日本は、イスラエルによるガザ虐殺を支持するアメリカと同盟国でよいのか?今こそ真剣な議論を始める時である。


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「どうしたら戦争をなくせるの?」私の意見・・・その5
 伊関要
 2025年3月28日

 甲野太郎さんの投稿に触発されペンを取りました。甲野太郎さんは、仰いました。「侵略に対しては立ち上がるのは国家と国民の権利であり、義務とも思います。」その為に「専守防衛、人命尊重、他国文化の理解」を徹底し「侵略や虐殺と言った暴走を起こさせない」軍隊を創ること。甲野太郎さんに全く同感です。そして、歴史上このような軍隊を創った国がありました。中国です。八路軍、新四軍を起源とする人民解放軍です。その深甚な意義は、今度の「どうしたら戦争をなくせるの?」集会のテーマの一つ「新中国戦犯裁判」に明らかです。

 ここでポイントとなるのが「軍隊をコントロールする政治」です。中国では「中国共産党の指導」がこれを可能にしました。翻ってわが国はと問われれば甚だ不安です。アメリカの軍産複合体とウォール街、いわゆる「戦争屋」の意のままに、安保三文書閣議決定、米国製兵器爆買い、南西諸島・琉球弧要塞化・ミサイル配備、全国の自衛隊基地地下化、「敵基地攻撃」と、対中国戦争準備に国力を傾注する有様です。更に、メディアは中国ネガティブキャンペーン一色です。USAIDやNEDの工作活動が明らかになりつつある昨今、国民的警戒心、気付きが喫緊の課題です。

 ウクライナ戦争を計画実行したのも「米戦争屋」なら、中東戦争の背後にも「米戦争屋」の姿があることを看破せねばなりません。そして、「軍隊・自衛隊をコントロールする日本の政治」は「米戦争屋」の魔手に握られているのです。

 1937年(昭和12年)、「暴支膺懲(ぼうしようちょう:暴虐なシナ{中国の別称}を懲らしめる)」が国民的スローガンとなる中、右も左も挙って提灯行列に繰り出し、銃後から南京虐殺を応援した痛恨の歴史を忘れてはなりません。日中友好を国論とする国民運動で、現代版「暴支膺懲」中国ネガティブキャンペーンを覆し、日本の政治を「米戦争屋」から取り戻し、「専守防衛、人命尊重、他国文化の理解」で「侵略や虐殺と言った暴走を起こさない」自衛隊へとコントロールすべきです。

 以上が、中国との戦争を未然に防ぎ、「新中国戦犯裁判」で示された報復の連鎖を断ち切り、戦争をなくす第一歩だという私の意見です。

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「どうしたら戦争をなくせるの?」私の意見・・・その4
甲野太郎
2025年3月25日

 戦争と平和について考える時に避けて通れない「軍隊をどうするか?」という面から、自分の意見を述べたいと思います。

 まず、軍隊をコントロールする政治の姿勢として、国の防衛戦略の基本姿勢を「専守防衛」とすること。
そして、実力組織として国防を担う軍隊の訓練において、他国・他民族を尊重する精神教育の徹底を図る事が必要と考えます。

 理想とはかけ離れた残酷な現実として、紛争は絶えることがなく、今も世界のどこかで無辜の市民が銃弾に倒れ、民族としての誇りを奪われている人たちがいます。
 そのような厳しい世界情勢の中で各国の軍隊は、他国の侵略から国家の安全と民族の尊厳を守るために必要な組織であると考えます。
「侵略されたら白旗をあげればいい」という主張は、過去に侵略を受け入れざるを得なかった民族がたどった苦難の歴史を考えれば私は受け入れられません。侵略に対しては立ち上がるのは国家と国民の権利であり、義務とも思います。
 しかしながら、往々にして戦争というのは自衛の名目のもとで始まるものです。
 軍隊に侵略や虐殺と言った暴走を起こさせないために、装備や編成、各種行動の法的根拠をいま一度整理し直し、自国防衛以外の行動を取らせない、取れない防衛態勢を作るべきと考察します。

 実力組織である軍隊での精神教育も欠かせません。将兵は効率よく人を殺すという究極の暴力を行使する能力を高める一方で、己を律して他者を思いやり、他国を尊重するという精神的な資質が求められます。
この資質に欠ける将兵が残虐行為に加担する可能性が高いのは言うまでもないでしょう。
 訓練プログラムに人命尊重と隣国(特に利害が一致しない国)の文化を理解する機会を盛り込むことで、将兵たちは自分たちが持つ力の意味と、それを行使する結果の重大性を改めて理解することができるのではないでしょうか?
 不幸にして外交努力が及ばず、戦闘状態に突入したとしても、かつて"人と人"として交流した生身の人間が銃口の先にいれば、引き金を引く精神的ハードルはグッと上がるはずです。

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「どうしたら戦争をなくせるの?」私の意見 ・・・その3
寺本久子 
2025年3月19日

 私の父は16年前に亡くなりましたが、傷痍軍人でした。戦場で大腿部を撃たれて鉄砲玉を抜く手術は麻酔無し「殺してくれ!」と叫ばずにはおれない痛みを乗り越えて生きて帰り、15センチ短くなった足を引きずって5人の子を育て上げました。父の歩き方をマネして歩いてみせる同級生もいました。平和が何より大事と思っています。
豊中市の教員と成り、戦争は最大の人権差別であることを伝えなければならないと先輩から励まされ、被弾体験を語って下さる方を探して学年会に掛け生徒たちと共に考え合う集会を企画して、実際に対面の聴き取り学習を進めました。その子たちは、今や社会の中堅として平和国家を維持してくれていたら、現在のような馬毛島を要塞化させる国にはなっていなかったと思います。流されている現実があります。
 昨年1月16日の中国駐大阪総領事館での学習会の案内が届き、即アマゾンで「新中国の戦犯裁判と帰国後の平和実践」(社会評論社)を取り寄せました。まさに「なんじのてきをあいせよ」
 奥村和一の「蟻の兵隊」の映画を観に出かけたことを思い出しました。池谷 薫監督の講演を聴くために伊丹市まで出掛けて行きました。もう、凄い深い指摘は、半端じゃないのです。そのことも整理して書いてくれていたのが、この石田隆至・張 宏波のご著書でありました。
ストップWAR・戦争反対を叫び続けること、「ロシアは即時撤退を」「ウクライナに平和を!」
21世紀の混迷する世界を突き抜ける気概を私は日中友好から分け与えられています。新たなる突破の熱源とさせたいと思う。

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「どうしたら戦争をなくせるの?」私の意見 ・・・その2
上瀬 豊
2025年2月26日

 7月6日の阿倍野区民センターでの討論会を楽しみにしていますが、何分、先の話であり、自分が参加出来るかどうか、予定がまだ立ちません。
 でも、この題は、自分にとっては学習してきた内容でもあり、興味がわきます。
 と言うのも、私は、イギリスの大学院で平和学という新しい学問をするため、教員を休職し、イギリスの大学に入り、大学院で平和学を勉強してきました。
 日本では、安倍晋三が、平和学や積極的平和主義を歪曲して国民に伝えたため、本来の積極的平和という概念を誤解している方を見受けます。
 しかし、積極的平和とは、戦争に向かう社会とほど遠い社会を作ろうと動く事であり、そのためには、差別、格差、人権、偏見、経済格差、平和外交、貧困撲滅、等に取り組み、戦争とは、ほど遠い社会を作る運動を通して平和な社会を作る活動が、積極的平和主義です。対外的には、フェアートレードを通じて、公正な価格で、カカオやバナナを購入する運動や、シングルマザーの貧困、移民、性、身分、あらゆるマイノリティー差別等をなくす運動、制度作り、また、兵器産業、原汗汗などから、環境保護産業や経済格差を少なくする経済システムの構築を進める中で、世界に発信、援助等を行っていく社会の構築が必要です。また、どうのように戦争が始まり、どのように終わらせるか? 兵士だった人に職業訓練をし、かつての敵とどのように個人的にも和解できるか、その和解プログラムを作る事も含みます。戦争中の国に対しては、兵力引き離しのための国連軍を駐留させるという荒療治もありますが
、これは、ロシアやアメリカなどが関わる戦争には、力を持てないのが現状です。荒療治だけを切り取り安倍晋三は、積極的平和主義を兵力拡大と、すり替えて紹介したため、日本人の間には誤解が生じています。 
 日本は、戦闘行為が無いだけの消極的平和な社会でしかありません。戦国時代でさえ、戦闘行為の無い平和に見える時期の方が長かったのです。平和に見えるが、戦争の準備をしている時期。それが、悲しいかな今の日本の状況です。
 是非積極的平和主義を学び、戦争とはほど遠い社会を作りましょう。

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「どうしたら戦争をなくせるの?」私の意見・・・その1
いんば
2025年3月7日

この投稿は7月6日に阿倍野区民センターで開かれる「どうしたら戦争をなくせるの?」集会への意見投稿です。

 大阪市西成区のいんばです。集会を主催している人間の一人です。
 「どうしたら戦争をなくせるのか?」について意見を述べます。
 これについては、色々な角度から、色々な意見があると思いますが、まずは、そういう様々な意見を出し合うということが重要なのではないかと思います。戦争をやろうとしている人々は、こうした「戦争と平和」の問題について、討論になること自体を嫌います。日本が80年前に敗けた戦争の時代がそうでした。「戦争へ行って人を殺したくない。自分も死にたくない。」そう発言するだけで「非国民」とののしられる時代でした。戦争をやろうとしている人々は、戦争を不可避のこととして強制します。そのためには、「敵が攻撃してきたから、攻撃しようとしているから」という「現実」を突き付けるため、「虚偽情報」を流したり「謀略事件」を起こしたりするのは常套手段です。そうしたペテンに引っかからないためにも、こうした討論は日常的に誰もが市民レベルで行っていくことが必要です。
 今はまだ、それができる時代です。いまこそ、そうした声をどんどん発信して、いま現に戦争を行っている国の市民にも聞こえるような、大きな声にしていきたいと思います。
 今回の集会でお話をお願いしているダニー・ネフセタイさんの著書「イスラエル軍元兵士が語る非戦論」の中にあるのですが、2023年10月7日以後は、イスラエルの友人達に電話をすると、かつては「武力よりも対話による平和を」と訴えていた人たちまでもが「ハマスとの対話はありえない。ヒトラーとの対話が不可能だったように。」と豹変したと言います。また、ダニーさんの幼なじみの女性からは、「ガザのすべての市民を抹殺しても構わない」というメッセージが届いたということです。ダニーさん自身「裏切者」と言われ「非国民」あつかいされ、ある友人とは決別したということです。ダニーさんは、それでも自分が生きると決めた日本から、イスラエルに対しても日本に対しても声を上げ続けると決意を述べていらっしゃいます。
 戦争をやろうとする人は「対話」を拒否するのです。だからこそ、私たちは声を上げなければならない。ヒトラーを説得するような「対話力」をみがきましょう。
 もう一人の講演者である石田隆至さんは、著書「新中国の戦犯裁判と帰国後の平和実践」の中で、新中国の人たちが自分の親兄弟を殺した日本軍の戦犯たちと真剣に向き合い、軍国主義思想から脱却させた経緯を記しています。
 次に、アウシュビッツから奇跡的に生還されたアニタ・ラスカー・ウォルフィッシュさんを取材した記事を紹介します。アニタさんは1925年7月17日生まれ、ロンドンで暮らしています(2024年8月時点)。

【コラム】“絶滅収容所”のチェリスト 50年間の沈黙~ホロコースト生存者が今、ガザの惨劇に思うこと~【ロンドン子連れ支局長つれづれ日記】(2024年2月25日掲載)|日テレNEWS NNN
私の意見は今回ここまでです。    
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