「どうしたら戦争をなくせるの?」私の意見・・・その5
伊関要
2025年3月28日
甲野太郎さんの投稿に触発されペンを取りました。甲野太郎さんは、仰いました。「侵略に対しては立ち上がるのは国家と国民の権利であり、義務とも思います。」その為に「専守防衛、人命尊重、他国文化の理解」を徹底し「侵略や虐殺と言った暴走を起こさせない」軍隊を創ること。甲野太郎さんに全く同感です。そして、歴史上このような軍隊を創った国がありました。中国です。八路軍、新四軍を起源とする人民解放軍です。その深甚な意義は、今度の「どうしたら戦争をなくせるの?」集会のテーマの一つ「新中国戦犯裁判」に明らかです。
ここでポイントとなるのが「軍隊をコントロールする政治」です。中国では「中国共産党の指導」がこれを可能にしました。翻ってわが国はと問われれば甚だ不安です。アメリカの軍産複合体とウォール街、いわゆる「戦争屋」の意のままに、安保三文書閣議決定、米国製兵器爆買い、南西諸島・琉球弧要塞化・ミサイル配備、全国の自衛隊基地地下化、「敵基地攻撃」と、対中国戦争準備に国力を傾注する有様です。更に、メディアは中国ネガティブキャンペーン一色です。USAIDやNEDの工作活動が明らかになりつつある昨今、国民的警戒心、気付きが喫緊の課題です。
ウクライナ戦争を計画実行したのも「米戦争屋」なら、中東戦争の背後にも「米戦争屋」の姿があることを看破せねばなりません。そして、「軍隊・自衛隊をコントロールする日本の政治」は「米戦争屋」の魔手に握られているのです。
1937年(昭和12年)、「暴支膺懲(ぼうしようちょう:暴虐なシナ{中国の別称}を懲らしめる)」が国民的スローガンとなる中、右も左も挙って提灯行列に繰り出し、銃後から南京虐殺を応援した痛恨の歴史を忘れてはなりません。日中友好を国論とする国民運動で、現代版「暴支膺懲」中国ネガティブキャンペーンを覆し、日本の政治を「米戦争屋」から取り戻し、「専守防衛、人命尊重、他国文化の理解」で「侵略や虐殺と言った暴走を起こさない」自衛隊へとコントロールすべきです。
以上が、中国との戦争を未然に防ぎ、「新中国戦犯裁判」で示された報復の連鎖を断ち切り、戦争をなくす第一歩だという私の意見です。
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「どうしたら戦争をなくせるの?」私の意見・・・その4
甲野太郎
2025年3月25日
戦争と平和について考える時に避けて通れない「軍隊をどうするか?」という面から、自分の意見を述べたいと思います。
まず、軍隊をコントロールする政治の姿勢として、国の防衛戦略の基本姿勢を「専守防衛」とすること。
そして、実力組織として国防を担う軍隊の訓練において、他国・他民族を尊重する精神教育の徹底を図る事が必要と考えます。
理想とはかけ離れた残酷な現実として、紛争は絶えることがなく、今も世界のどこかで無辜の市民が銃弾に倒れ、民族としての誇りを奪われている人たちがいます。
そのような厳しい世界情勢の中で各国の軍隊は、他国の侵略から国家の安全と民族の尊厳を守るために必要な組織であると考えます。
「侵略されたら白旗をあげればいい」という主張は、過去に侵略を受け入れざるを得なかった民族がたどった苦難の歴史を考えれば私は受け入れられません。侵略に対しては立ち上がるのは国家と国民の権利であり、義務とも思います。
しかしながら、往々にして戦争というのは自衛の名目のもとで始まるものです。
軍隊に侵略や虐殺と言った暴走を起こさせないために、装備や編成、各種行動の法的根拠をいま一度整理し直し、自国防衛以外の行動を取らせない、取れない防衛態勢を作るべきと考察します。
実力組織である軍隊での精神教育も欠かせません。将兵は効率よく人を殺すという究極の暴力を行使する能力を高める一方で、己を律して他者を思いやり、他国を尊重するという精神的な資質が求められます。
この資質に欠ける将兵が残虐行為に加担する可能性が高いのは言うまでもないでしょう。
訓練プログラムに人命尊重と隣国(特に利害が一致しない国)の文化を理解する機会を盛り込むことで、将兵たちは自分たちが持つ力の意味と、それを行使する結果の重大性を改めて理解することができるのではないでしょうか?
不幸にして外交努力が及ばず、戦闘状態に突入したとしても、かつて"人と人"として交流した生身の人間が銃口の先にいれば、引き金を引く精神的ハードルはグッと上がるはずです。
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「どうしたら戦争をなくせるの?」私の意見 ・・・その3
寺本久子
2025年3月19日
私の父は16年前に亡くなりましたが、傷痍軍人でした。戦場で大腿部を撃たれて鉄砲玉を抜く手術は麻酔無し「殺してくれ!」と叫ばずにはおれない痛みを乗り越えて生きて帰り、15センチ短くなった足を引きずって5人の子を育て上げました。父の歩き方をマネして歩いてみせる同級生もいました。平和が何より大事と思っています。
豊中市の教員と成り、戦争は最大の人権差別であることを伝えなければならないと先輩から励まされ、被弾体験を語って下さる方を探して学年会に掛け生徒たちと共に考え合う集会を企画して、実際に対面の聴き取り学習を進めました。その子たちは、今や社会の中堅として平和国家を維持してくれていたら、現在のような馬毛島を要塞化させる国にはなっていなかったと思います。流されている現実があります。
昨年1月16日の中国駐大阪総領事館での学習会の案内が届き、即アマゾンで「新中国の戦犯裁判と帰国後の平和実践」(社会評論社)を取り寄せました。まさに「なんじのてきをあいせよ」
奥村和一の「蟻の兵隊」の映画を観に出かけたことを思い出しました。池谷 薫監督の講演を聴くために伊丹市まで出掛けて行きました。もう、凄い深い指摘は、半端じゃないのです。そのことも整理して書いてくれていたのが、この石田隆至・張 宏波のご著書でありました。
ストップWAR・戦争反対を叫び続けること、「ロシアは即時撤退を」「ウクライナに平和を!」
21世紀の混迷する世界を突き抜ける気概を私は日中友好から分け与えられています。新たなる突破の熱源とさせたいと思う。
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「どうしたら戦争をなくせるの?」私の意見 ・・・その2
上瀬 豊
2025年2月26日
7月6日の阿倍野区民センターでの討論会を楽しみにしていますが、何分、先の話であり、自分が参加出来るかどうか、予定がまだ立ちません。
でも、この題は、自分にとっては学習してきた内容でもあり、興味がわきます。
と言うのも、私は、イギリスの大学院で平和学という新しい学問をするため、教員を休職し、イギリスの大学に入り、大学院で平和学を勉強してきました。
日本では、安倍晋三が、平和学や積極的平和主義を歪曲して国民に伝えたため、本来の積極的平和という概念を誤解している方を見受けます。
しかし、積極的平和とは、戦争に向かう社会とほど遠い社会を作ろうと動く事であり、そのためには、差別、格差、人権、偏見、経済格差、平和外交、貧困撲滅、等に取り組み、戦争とは、ほど遠い社会を作る運動を通して平和な社会を作る活動が、積極的平和主義です。対外的には、フェアートレードを通じて、公正な価格で、カカオやバナナを購入する運動や、シングルマザーの貧困、移民、性、身分、あらゆるマイノリティー差別等をなくす運動、制度作り、また、兵器産業、原汗汗などから、環境保護産業や経済格差を少なくする経済システムの構築を進める中で、世界に発信、援助等を行っていく社会の構築が必要です。また、どうのように戦争が始まり、どのように終わらせるか? 兵士だった人に職業訓練をし、かつての敵とどのように個人的にも和解できるか、その和解プログラムを作る事も含みます。戦争中の国に対しては、兵力引き離しのための国連軍を駐留させるという荒療治もありますが
、これは、ロシアやアメリカなどが関わる戦争には、力を持てないのが現状です。荒療治だけを切り取り安倍晋三は、積極的平和主義を兵力拡大と、すり替えて紹介したため、日本人の間には誤解が生じています。
日本は、戦闘行為が無いだけの消極的平和な社会でしかありません。戦国時代でさえ、戦闘行為の無い平和に見える時期の方が長かったのです。平和に見えるが、戦争の準備をしている時期。それが、悲しいかな今の日本の状況です。
是非積極的平和主義を学び、戦争とはほど遠い社会を作りましょう。
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「どうしたら戦争をなくせるの?」私の意見・・・その1
いんば
2025年3月7日
この投稿は7月6日に阿倍野区民センターで開かれる「どうしたら戦争をなくせるの?」集会への意見投稿です。
大阪市西成区のいんばです。集会を主催している人間の一人です。
「どうしたら戦争をなくせるのか?」について意見を述べます。
これについては、色々な角度から、色々な意見があると思いますが、まずは、そういう様々な意見を出し合うということが重要なのではないかと思います。戦争をやろうとしている人々は、こうした「戦争と平和」の問題について、討論になること自体を嫌います。日本が80年前に敗けた戦争の時代がそうでした。「戦争へ行って人を殺したくない。自分も死にたくない。」そう発言するだけで「非国民」とののしられる時代でした。戦争をやろうとしている人々は、戦争を不可避のこととして強制します。そのためには、「敵が攻撃してきたから、攻撃しようとしているから」という「現実」を突き付けるため、「虚偽情報」を流したり「謀略事件」を起こしたりするのは常套手段です。そうしたペテンに引っかからないためにも、こうした討論は日常的に誰もが市民レベルで行っていくことが必要です。
今はまだ、それができる時代です。いまこそ、そうした声をどんどん発信して、いま現に戦争を行っている国の市民にも聞こえるような、大きな声にしていきたいと思います。
今回の集会でお話をお願いしているダニー・ネフセタイさんの著書「イスラエル軍元兵士が語る非戦論」の中にあるのですが、2023年10月7日以後は、イスラエルの友人達に電話をすると、かつては「武力よりも対話による平和を」と訴えていた人たちまでもが「ハマスとの対話はありえない。ヒトラーとの対話が不可能だったように。」と豹変したと言います。また、ダニーさんの幼なじみの女性からは、「ガザのすべての市民を抹殺しても構わない」というメッセージが届いたということです。ダニーさん自身「裏切者」と言われ「非国民」あつかいされ、ある友人とは決別したということです。ダニーさんは、それでも自分が生きると決めた日本から、イスラエルに対しても日本に対しても声を上げ続けると決意を述べていらっしゃいます。
戦争をやろうとする人は「対話」を拒否するのです。だからこそ、私たちは声を上げなければならない。ヒトラーを説得するような「対話力」をみがきましょう。
もう一人の講演者である石田隆至さんは、著書「新中国の戦犯裁判と帰国後の平和実践」の中で、新中国の人たちが自分の親兄弟を殺した日本軍の戦犯たちと真剣に向き合い、軍国主義思想から脱却させた経緯を記しています。
次に、アウシュビッツから奇跡的に生還されたアニタ・ラスカー・ウォルフィッシュさんを取材した記事を紹介します。アニタさんは1925年7月17日生まれ、ロンドンで暮らしています(2024年8月時点)。
【コラム】“絶滅収容所”のチェリスト 50年間の沈黙~ホロコースト生存者が今、ガザの惨劇に思うこと~【ロンドン子連れ支局長つれづれ日記】(2024年2月25日掲載)|日テレNEWS
NNN
私の意見は今回ここまでです。
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