中国企業「ディープシーク」が、歴史的な大発明を公開した理由

中国企業「ディープシーク」が、歴史的な大発明を公開した理由
(働き人のいいぶん2025年2月4日号より)

 中国の生成AI(人工知能)のベンチャー企業「deepseek」(ディープシーク)は、1月20日、安くて高性能の新しいAI(人工知能)のモデルをアメリカで公表しました。


 最初はみんな半信半疑でしたが、実際に使ってみると「ウソではない、本物だ」という認識が一気に広まり、1月27日のニューヨーク株式市場では、アメリカのAI関連株が大量に売られるという大荒れの展開になりました。「アメリカのAI業界は世界の最先端を独走していると信じていたのに、名前さえ知らない中国の小さな新興企業がこれを追い越した」という衝撃が、世界中の技術者や投資家たちを打ちのめしました。

 アメリカのAI企業に半導体を提供しているNVIDIA(エヌビデア)は一夜にして時価総額の17%(92兆円)を失いました。ほかのAI関連株も含めると総額で150兆円以上が紙くずになりました。
 
 この「ディープシーク」という企業は、創立されたのが2023年7月、まだ1年半しかたっていない出来立てホヤホヤの企業です。


 創業者は梁文鋒氏(40歳)、20代~30代の優秀な技術者140人が研究開発にたずさわっています。アメリカへ留学した経験者はいないということで、中国の大学で勉強した純国産の技術者集団だといいます。
  
 「ディープシーク」は当初から研究開発の中身をオープンにしており、梁氏は「中国のすべての企業は、追随者ではなく開発者だ」と述べています。つまり、研究開発の過程や成果をオープンにすることで、中国のすべての企業が一緒に共同開発しようという考え方です。今度はこれを全世界に広げるということなのでしょう。欧米の企業と企業の間には「知的所有権」という高い壁があります。これを取っ払って共同研究しているのが中国の企業で、ここに中国企業の開発力のすごさの本当の理由があります。

 1月27日、アメリカのAI関連株は急速に値を下げましたが、しかし翌日には少し値を戻し、「大暴落」にはなりませんでした。理由は投資家たちが次のように考えたからだろうと言われています。「待てよ。『ディープシーク』は確かにすごい技術を開発したけれども、それをすべて公開してくれている。それを使って同じものを作ればいいだけだ。資金力はもともと欧米の方が圧倒しているのだから、また『ディープシーク』を追い越せばよいだけだ。」 

 これは『ディープシーク』の首脳陣も最初から考えていたことでしょう。彼らの目的は欧米のAI企業をつぶすことではないからです。日本はこの分野で決定的に遅れていますが、日本の企業も今が追いつくチャンスなのです。

 中国企業のこうした思想と実践がどういう結果をもたらすかについて、もう少し考えてみる必要があります。

 今回の「ディープシークV3」というモデルの開発に要した時間は、わずか2か月、しかも研究開発費は8億7000万円という安さです。ちなみに他社の同レベルの機種の開発費はアメリカの「オープンAI」が120億円、グーグルが300億円と言われています。

 さらに驚くのは、一般の個人がこのアプリを使用するのは「無料」、企業が研究開発に使う使用料はアメリカの企業が開発したモデルの10分の一以下で、ソフトの中身はすべて公開しています。この発明で特許をとれば世界一の大金持ちになれるのに、何でそれをしないのでしょう?

 まず、アメリカは一貫して中国に対する技術の輸出を禁止する政策をとっていますが、こういう政策が破綻したということです。

 今回の「ディープシーク」モデルが使用している半導体の数は、欧米のAIモデルの数分の一といいます。アメリカによる中国に対する高性能半導体の輸出禁止で、たくさんの半導体を使えなかったことが、逆に全く異なる方法とアイデアを生み出したと言われていますが、むしろ、中国の技術力はすでにアメリカを追い越していたからこそ、こういう離れ業ができたとも言えます。

 すでに科学技術の分野で中国を封鎖することはできません。封鎖すればそれは自分で自分の家の周りに高い塀を築いて、自分で自分が作った牢獄に閉じこもることになります。いままさにトランプ大統領がその喜劇を演じています。

 「欧米」の人口は高々10億人、世界には80億人の人々が暮らしています。日本を含む欧米の政治家や企業経営者が考えていることは「今だけ、自分だけ、お金だけ」。

 中国は、「みんなが豊かになることで、自分も豊かになる」という考え方です。

 これが一番理にかなった道ではないでしょうか?人間、自分一人では生きていけませんから。中国が提唱する「人類運命共同体」という理念と実践は、今や世界で広く受け入れられています。ここにこそ、世界平和への道があると信じます。(山橋)